レイバンの歴史
1923年
この年5月、アメリカ合衆国陸軍航空隊のジョン・マクレディ大尉は、飛行船による大西洋無着陸横断に成功。雲の上での強烈な太陽光線による視力の消耗、それに伴う頭痛や吐き気を経験した彼は、パイロットのためのサングラスを、ボシュロム社に依頼しました。これを受けて、ボシュロム社では、幅広い分野から優秀な技術者を動員し、6年もの長期にわたって徹底的な分析研究を推進。その結果、世界で初めて光学的な裏付けを持ったサングラスを完成させました。このとき開発されたレンズが、今日でも定評のある“レイバングリーン"で、当時の米国政府規格を大幅に上回る機能を備えたものです。
1930年
この画期的なサングラスは「アビエーター・モデル」と称され、米軍の正式採用を受けることになりました。
1937年
この年、ボシュロム社は、二つの重要なステップをとりました。その第一は、「光を遮断する」という意味を込めた『Ray-Ban』ブランドを誕生させたこと。時を経て、Ray-Banはサングラスの代名詞となりました。第二のステップは、優れた光学レンズとティアドロップ型のフレームからなるサングラス「クラシックメタル」を市場導入したこと。このサングラスは、後に、Ray-Banのベストセラーとなり、サングラスの模範的スタイルとなりました。機能に重点を置いたRay-Banサングラスは、以後、実用的なプロフェッショナル・アイテムとして定着。パイロットのみならず、ハンター、ヨットマン、フィッシャーマン、ドライバー、警察官などのあいだで、急速に普及していきました。
1939年
「アウトドアーズマン」、「シューター」を発売。
1952年
対象物が自然の色調に見える”G-15レンズ”を完成。
1953年
アメリカの市民生活にもようやく余裕が出始めたこの年、ボシュロム社は、新製品「ウェイファーラー」を発売。クラシックでシンプルなデザインとカラー、丈夫な構造、優れた装着感などを持つこのサングラスは、半世紀以上にわたって、着実な販売実績を維持してきました。
1956年
Ray-Banのマーケティングに大きな転機が訪れました。サングラスをファッションやアクセサリーとする風潮が目覚めたのです。これをとらえたボシュロム社では、Ray-Banの製品ラインを大幅に拡大し、毎年、多数の新製品を導入するようになりました。これらのサングラスは、従来の機能重視のサングラスにファッション性も加味して開発されたため、フレームのデザインや飾り、カラーにおいて、画期的なものでした。
1957年
「キャラバン」を発売。
1965年
「オリンピアンⅠ」「オリンピアンⅡ」を発売。オールディーズコレクション第一弾。
1967年
「バロラマ」を発売。
1968年
「オリンピアンⅠDX」を発売。
1970年
ゴールドのメタルラインにカラーバリエーションとしてブラックフレーム登場。
1973年
クラシックメタルのラージサイズ「メタルⅡ」を発売。日本でもRay-Banが定着し始める。
1974年
光の量によってレンズの色濃度が変化する“調光グレイレンズ”発売。
1978年
光の量と気温によってレンズの色濃度が変化する“アンバーマッチングレンズ”発売。
1980年
アウトドアーズマンのラージサイズ「アウトドアーズマンⅡ」発売。
映画「ブルース・ブラザーズ」のヒットで、ウェイファーラーが再び、脚光を浴びる。
1981年
対象物のコントラストを強める“B-15レンズ”完成。
1984年
「キャッツ」発売開始。
1986年
「ウェイファーラーⅡ」、「ドリフター」、「クラブマスター」、「メタルドライビング」を発売。トム・クルーズ主演「トップガン」の上映でティアドロップ型が再び人気急上昇。
1987年
Ray-Ban誕生50周年。ボシュロム社ではこれを記念し、マッカーサー将軍に因んで、「クラシックメタル」に風格を持たせた「ザ・ジェネラル」を発売しました。Ray-Banサングラスは、本来、眼を保護するために開発されたものですが、その究極の機能性から生まれたフアッション性も、いまや世界中から多大な評価を得ています。それを象徴するように、この年、A.F.D.I(アメリカンファッション・デザイナー評議会)から、ファッション界におけるRay-Banの貢献に対して名誉ある賞を贈られました。トム・クルーズやジャック・ニコルソン、マドンナ、イワン・レンドルも受用しているRay-Banサングラス。アイデンティティ・アイテムとして、愛用者はますます増え続けています。
1988年
「エクスプローラー」発売。ソウルオリンピックにオフィシャルサプライヤーとして協賛。
1991年
Ray-Banは、世界の高級サングラスの35%を占めるリーダーシップ・ブランドとして、またクオリティ・ブランドとして定着し、不動の地位を確立しています。
1992年
アルベールビル冬季オリンピック、そしてバルセロナ夏季オリンピックに、12社から成るTOPスポンサーとして協賛を決定。国際オリンピック委員会からも、高い評価を得ています。
1994年
Ray-Banの最先端技術を駆使して開発された、ドライビングレンズ“クロマックスレンズ”完成。
リレハンメル冬季オリンピックのTOPスポンサーとして協賛。
1995年
サングラスを初めて手にするフレッシュマン、フレッシュウーマンに向けて、“マイファーストレイバン”を発売。
1999年
ボシュロム社はイタリアのLuxottica社にRay-Banの権利を売却しました。
以後、Ray-BanはMade in USAではなくMade in Italyとなります。
1920年代にマクレディ大尉によって依頼されたパイロット用サングラスから始まるRay-Banの歴史が、このように輝かしいものになろうとは、当時、だれ一人予想することができませんでした。いま、ブランド力を誇るRay-Banは、この伝統と革新性を武器にして、サングラスの新たな歴史を作り出そうとしています。